宗顕寺

宗顕寺の開基

宗顕寺写真3 曹洞宗宗顕寺は釈迦牟尼如来を本尊とする。
宗顕寺の縁起に『応永四年(1396)三月泉福大空融仙和尚の開基である。その後堂宇破損したるを以て寛政五年(1793)十一世瑞音和尚これを再建する。和尚は同村中島氏の出なるを以て同族と相計って諸堂宇の完成に尽くし爾来今日に及んでいる。』とある。(宇佐市史)
赤尾氏の記録を見ると長福寺・壷臺寺の菩提所があった。
また、当時の小領主は在家中に仏門に帰依するものも多くいた。
中島氏が延応元年(1239)に高家郷の地頭職になってより戦国時代に至る歴代領主が菩提所を建立したことは当然考えられる。
そうした菩提所のひとつが宗顕寺で寺内の墓地に伊予守房直の首塚(胴塚とともに中島神社に移転の計画中)がある。
ちなみに、天正十五年の検地帳に高家村の寺・小庵は金剛頂寺・大通寺・禅久庵・寿福庵・福寿庵・妙香庵・延命庵・宝積庵・富門寺などが記載されている。
宗顕寺の門前に一石一字塔が一基、中島吉之助宅に二基ある。
宗顕寺の塔には「元文五年(1740)十月、願主伊右衛門入道一應」とあり、中島宅に一基には次の碑文が刻まれている。

正面 『此中巳有如来全身』
裏面 『奉書鶯一字石』
右側 『干字 寛永六巳丑二十七冥(1629)
左側 『清原氏中島喜七郎勝直』

鶯(うぐいす)一石とは鶯が法華経(ホケキョウ)と鳴くので「法華経一石塔」という風雅な表現でなかろうか。